ヴォーリズの歩みとその業績を年代を追ってご紹介いたします。
1941年 | 61歳 | ヴォーリズ日本へ帰化 日本国籍取得、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。 |
八幡神社の神前で誓いを 読み上げるヴォーリズ |
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1942年 | 62歳 | 東京帝国大学(現・東京大学)講師を勤める。それより前、京都帝国大学(現・京都大学)、同志社大学などでも教える。戦時中は軽井沢で過ごす。 | |
1945年 | 65歳 | マッカーサー元帥と近衛文麿元首相との会談実現のために活躍。 | 終戦直後のヴォーリズの日記 |
1947年 | 67歳 | 昭和天皇よりねぎらいの言葉をかけられる。 自伝『失敗者の自叙伝』の草稿を起筆、1957年(昭和32年)まで『湖畔の声』に連載。 |
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1951年 | 71歳 | 一柳米来留(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ)社会教化事業の功績により藍綬褒章を受ける | 社会公共事業に対する 功績により藍綬褒章を受ける |
1957年 | 77歳 | 7月 軽井沢でクモ膜下出血のため倒れ、近江八幡の自宅に帰り、療養生活に入る。 |
病床にあるヴォーリズを 見舞われる三笠宮殿下 |
1958年 | 78歳 | 近江八幡市名誉市民第1号に推される。 | |
1960年 | 80歳 | 日米修好通商百周年に功労者として顕彰を受ける。 | |
1961年 | 80歳 | 建築部門は1961年(昭和36年)6月に独立。株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所が設立。 建築業界における功績で黄綬褒章を受ける。 |
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1964年 | 83歳 | 5月7日 7年間の病床生活を終えて召天。正五位勲三等瑞宝章を受ける。 5月16日 近江八幡市民葬と、近江兄弟社葬との合同葬となり、遺骨は恒春園に眠る。 |
「近江兄弟社」と 「近江八幡市」の合同市民葬 |