ヴォーリズの歩みとその業績を年代を追ってご紹介いたします。
1880年 | 誕生 | 10月28日、米国カンザス州レブンワースで、父ジョン・ヴォーリズ、母ジュリア・ヴォーリズの長男として生まれる。 | 左:父ジョン・ヴォーリズ 右:母ジュリア・ヴォーリズ |
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1888年 | 8歳 | 生来病弱であったため転地療養のためアリゾナ州フラグスタッフへ。 少年時代をアリゾナの雄大な自然に多くの感化を受けて育ち、絵画と音楽とに親しむ。 小学生時代音楽的才能に目覚める。 幼いころから教会の聖歌隊の歌声や20歳年上の従姉が弾くピアノを聴いて育ち、音楽へ強い興味を持ち始めたヴォーリズはやがて小学生になると、ピアノ演奏に長け、作曲や作詞の才能も発揮し始めた。 |
フラッグスタッフの家 |
1896年 | 16歳 | コロラド州デンバーに転居。 | |
1900年 | 20歳 | イースト・デンバー高校卒業、コロラド大学入学。YMCA活動開始。 建築家を目指して、コロラド大学に入学。また音楽の才能を磨く一方で、学内YMCA活動にも熱心で会計係として忠実に仕える。キリスト教精神の一般生活への実践を生涯の理想とする。 |
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1902年 | 22歳 | 海外伝道学生奉仕団での講演に感激し、外国伝道への献身を決意 カナダのトロントにあるマッセイホールで開かれた「海外伝道学生奉仕団(SVM)」第4回世界大会にコロラド大学代表として出席。 宣教師夫人であるテイラー女史の講演に感動し、建築家の夢をあきらめ神の召命に応えて外国伝道への献身を決意する。 |
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1904年 | 24歳 | コロラド大学 哲学科を卒業し、コロラドスプリングスYMCAの主事補となる コロラド大学を卒業後、コロラドスプリングスYMCAで主事補として勤務。北米YMCAから、日本の滋賀県が英語教師を求めているという手紙が届き、応諾。その派遣先は、ヴォーリズが見も知らぬ日本の近江八幡であった。 |
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1905年 | 25歳 | 1月10日 サンフランシスコ港を出航、パシフィック・メイル社の汽船チャイナ号で19日間をかけ日本へ。 1月29日 横浜港に到着 W.M.ヴォーリズ来日 2月2日 17時間汽車にゆられ八幡に到着(現在の滋賀県近江八幡) 滋賀県県立商業学校(現:滋賀県立八幡商業高校)英語教師として着任。 2月8日 ヴォーリズ宅(魚屋町元)にて最初のバイブルクラスを開く。 10月6日 来日後始めたバイブルクラスが発展し、生徒達とともに日本では初となる中等学校YMCAを創立する |
ヴォーリズが乗ってきた 汽船チャイナ号 バイブルクラスの生徒達と ヴォーリズ |