ヴォーリズの指導の下、優秀な建築設計者として活躍した |
ヴォーリズの滋賀県県立八幡商業学校英語教師時代の生徒の一人。 軍隊に入り、陸軍歩兵少尉として大津の隊に属していたが、ヴォーリズに青年会館の仕事を手伝ってほしいと頼まれ、陸軍を辞め、喜んでヴォーリズの申し入れを受け入れた。 この時代は建築士の資格制度はまだ定まっておらず、また建築の教育体制も充分でなかったため、村田はヴォーリズやチェーピン、ヴォーゲルの指導のもとで優秀な建築設計者として育てあげられていった。 西洋建築を完成させていくについては、輸入しなければならない建築部材も少なくなかった。これらは学校で貿易実務のトレーニングを受けていた滋賀県県立八幡商業学校出身の村田らには得意分野であっただろう。後に近江兄弟社の前身である「近江セールズ」が設立され、村田はこれらの経営の中核を担ってゆく。 |
近江兄弟社の創立者として終生、結束の固かった3人 |
村田幸一郎 略歴
1887年 | 大阪府泉北郡深井村にて出生。 |
1912年 | ヴォーリズ、吉田、武田牧師と共に伝道雑誌『湖畔の声』を創刊。 |
1944年 | 「近江セールズ株式会社」を「日本メンソレータム株式会社」と社名変更し、「株式会社近江兄弟社」設立、両社社長に就任。 |
1956年 | 村田幸一郎 召天(享年 69歳) |