英語教師として来日(明治38年)
近江商人の士官学校と言われた滋賀県県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)の英語教師として来日、ここで多くの近江商人を目指す若き青年たちと出会うことになった。
ところが、人なつっこいヴォーリズの人気の高さは逆に宗教的な対立を生み、わずか2年で教師の職を解かれてしまった。
だが、ここで話は終わることはなく、彼と近江商人の卵たちとの熱ききずなは、彼を生涯近江八幡の地に留めることになった。
『日本人を越えたニホン人
―ウィリアム・メレル・ヴォーリズ』より
名前をサインするときはいつも丸を書いてその中に点を打った。彼はこれを「近江八幡は世界の中心」と説明。
ヴォーリズが乗ってきたチャイナ号
19日間の船旅であった。
(明治38年初春/1905)
バイブルクラスの生徒達とヴォーリズ
(明治38年/1905)
完成したばかりの旧八幡YMCA会館
ヴォーリズの私財とアンドリュース家からの寄付金で立てた八幡基督青年会館(旧YMCA会館)。
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英語教師として来日(明38)
キリスト教の伝道
建築事務所の設立
一柳満喜子との結婚
メンタームとの出会い
(近江兄弟社の設立)
医療活動の展開
教育活動の展開
図書館の設立
日本人に帰化・改名
音楽を愛したヴォーリズ
天皇を戦犯から守ろうとした
ヴォーリズ
近江八幡名誉市民として永眠
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