ヴォーリズの語り部

Vol.01 元ヴォーリズ建築事務所 矢野 義(やのただし)さん

1928(昭和3)年2月23日生

早稲田大学建築学科卒 一級建築士

箕面市在住 日本キリスト教団豊中教会所属

米来留(メレル)さん

ヴォーリズさんは1941(昭和16)年に日本国籍を取得し、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名されています。
だから、私を含め、晩年出会った人には、自分のことを「ヴォーリズさん」ではなく「米来留さん」と呼ぶようにおっしゃいました。
敬意を払って「米来留先生」と呼んだりすると「先生とは誰のことですか?先生はイエス様の他にはいません」とおっしゃるので、ヴォーリズさんの前では「米来留さん」と呼び、陰で先生と呼んだりしましたね。




厳しさもあり、楽しさもあり…社員をとても大切にする人でした

私は大学卒業後、近江兄弟社建築部に入社し、ヴォーリズさんと4年ほど一緒に仕事させていただきました。
直接指導していただくことはほとんどありませんでしたが、ヴォーリズさんの仕事に対する姿勢は職場の雰囲気や先輩方の態度で色々感じることがありました。
社員の健康を常に気遣っておられ、会社内に灰皿は一切置いてなかったですし、姿勢を悪くして図面を書いていると目と図面の間に1尺の定規を当てられたこともありました。
家族との時間、健康のためとして基本的に残業はさせてもらえませんでした。
だから、仕事がたまっているときは一旦定時に帰宅し、ヴォーリズさんが帰った時間を見計らい戻って図面を描くことも…
日曜日には教会へ行き、心と体を休養させることを第一とし、規律正しい生活を指導されました。
仕事に対して厳しい面もありましたが、陽気でダジャレ好きだったヴォーリズさんの周りはいつも笑い声が絶えず、休憩時間には自然と人が集まっていました。
社員同士も仲が良く、休みの日には一緒にテニスや山登り、ボートを楽しみました。
仕事中でも図面を書きながら一人が讃美歌のメロディを口ずさみますと、いつの間にか美しいハーモニーになるという雰囲気でした。
また、ヴォーリズさんはいくら会社が儲かっていても自分は質素倹約に徹し、子だくさんな社員に給与を多く与えていました。
出張に行くと費用の残りは全部献金してしまわれ、空っぽの財布を下向けに振ってニヤニヤ笑いながら『ないふ!!』とジョークを飛ばされました。
人を愛するイエスの教えを、身をもって実践されていたと感じます。
ヴォーリズさんが自分の生き様を通して、社員に人への思いやりや人との絆の大切さを教えてくれました。




「建築が人を教育する」現代に求められるヴォーリズ建築

近江兄弟社建築部に入社した頃の矢野義さん

近江兄弟社建築部に入社した頃の矢野義さん


豊中教会の結婚式で

豊中教会の結婚式で

ヴォーリズさんの人間性はもちろん建築にも現れています。
「建築は社会の器として残るものだから美しく機能的でなければいけない」という理念のもと、住宅や学校など多数の建築物を残しました。
気候風土にあった日本建築の良さを取り入れること、人のつながりができる場所をつくること、住み手の健康と能率を大切にすることなど、たくさんのことを教えられました。
「建築が人を教育する。人の絆を深め、人の心を育てる建築が必要だ。人が建築に求めているものは優しさや絆である」。
現在は、利便性や利益を求めた作り手主義の建物が多いと感じます。
そのような中、ヴォーリズ建築が脚光を浴びているのは、建物に温もりが感じられる、人への思いやりが溢れた建築物だからではないでしょうか?
私はヴォーリズさんから建築だけでなく、人として大切なものを教わりました。
一緒に過ごした時間は短いですが、私の人生に大きな影響を与えた人です。

取材日:2013年2月13日


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