ジョークと手相が得意 人を和ます術を心得た方でした
私は高校を卒業し、株式会社近江兄弟社に入社しました。1年間勤務し、会社の奨学金制度を利用して医学の道へ進みました。
大阪大学医学部に入学した私は嬉しくて、詰襟に「M」のバッジをつけてメレル先生にご挨拶に参りました。
すると「M?あなたはミュージシャンになるのですか?」といたずらっぽくお尋ねになるのです。
私が「いいえ、メディシンのMです」とお答えすると、「そんなに痩せていて人の病気が治せますか?」と笑いながらおっしゃいます。
当時はまだ食べ物も十分ではなく、痩せっぽっちだった私を心配してくださったのです。
そして「手相を見てあげましょう」と私の手を取り、「うん、これならダイドー(大丈夫)ブ!」とおっしゃって下さいました。
これが、私が一番印象に残っているメレル先生との会話です。ジョーク好きなメレル先生らしい励ましのお言葉でした。
片言の日本語と、ウィットに富んだ会話で周囲の人を和ませる方でした。
手相を見るのも得意で、会う人会う人に「手相を見てあげましょう」と声をかけておられました。
私が出会った当時、メレル先生は70代だったと思いますが、とても若く見えました。
ステッキを振り、ハットを被って町を歩かれる姿は実にダンディで、いつもいたずらっぽい微笑みを浮かべておられた姿が思い出されます。
「ボーリっさんの病院」
大阪大学 医学部時代
私が東京の聖路加国際病院でインターンをしている間に、メレル先生は軽井沢で倒れられました。
東京事務所の方が準備された食料品や日用品を持って、日帰りで軽井沢までお見舞いに行ったことを思い出します。
近江八幡の自宅で療養されている頃、私も近江サナトリウムの医師となり帰幡しました。
主治医の鷹津先生のお供で何度か往診に伺いましたが、お姿を拝見するだけで、お話することはできませんでした。
一方、近江サナトリアムはその後、結核患者も減ってきたので病院を一般病院にし、病院名を変えることになりました。
候補案は「ベテスダ(※)病院」「近江兄弟社病院」など色々ありました。
そんなある日、自宅療養をしている患者さんのもとへ往診に行くと、そこのおばあさんが「ボーリっさんが来はったよー」と家の方へ向かって声をかけるのです。
その時に「これだ!」と思いました。
「ヴォーリズ」という呼び名が町の中に自然に溶け込んでいるのです。迷うことなく「ヴォーリズ記念病院」に決めました。
こうして新しくなった病院が現在でも「ヴォーリズ」という名前を残しながら地域医療に貢献していることをとても嬉しく思っています。
※ベテスダとは、エルサレムにあった池の名前。池の水面が波立ったときに最初に入ったものはどんな病気でも癒された。(新約聖書 ヨハネによる福音書5章1~9節)