W.M.ヴォーリズライブラリ

メレルご夫妻に深い愛情を注いでいただきました

私は24歳のときに近江兄弟社学園小学校の教諭となりました。そして2年余りの期間、メレルご夫妻のご自宅で寝食を共にし、お二人の私生活に触れるという貴重な機会を与えられました。
初めて満喜子先生とお会いしたその日に「私たちはあなたを自分の子どもとして教育します」というお言葉をかけていただきました。その時はただありがたく、以後もその理由について詳しく尋ねたことはありませんので、その真意はわかりません。
ただ、お二人と共に生活し、お二人から愛情溢れる接し方をしていただいたことだけが私の大きな喜びであり、深く感謝しております。

共に過ごした日々

平日は毎朝、満喜子先生と一緒に学園に向かいました。先生の少し後ろを歩いていると、満喜子先生はピンと張った背筋をより一層反り返るようにして、八幡山を指さし「あの山の頂きを見て歩くのよ。目標は高く、希望は大きくよ」とおっしゃっていました。毎日、この言葉を心に刻むように学園に向かわれていました。
学園は週5日制だったので、土曜日はご自宅から会社までメレル先生をお送りするのが私の役目でした。メレル先生と一緒に歩くこの数十分間が楽しみで、毎週待ち遠しく思っていました。
町の人から愛されているメレル先生でしたので、一緒に歩いていると町の人から「おはよう、ボッリズさん」と度々声がかかります。先生もにこやかに微笑んで言葉を交わされるので、私はメレル先生のお話が聞きたくても中断されることばかりでした。
メレル先生はいつも身なりを乱されることはなく清楚な姿でした。
身の回りのものは地元で調達するのがメレル流です。仕事の関係でデパートとの付き合いもあったはずですが、服や靴は地元の仕立屋さんに頼んでおられましたし、理髪も地元のお店に通っておられました。
近江八幡を誰よりも愛し、この地と人々に終生変わらぬ慈愛を注がれていました。
日曜日はご夫婦と一緒に礼拝に行きました。
礼拝から帰宅すると、昼食は決まってシチューで、ご夫妻も一堂に会する食事の時間でした。
昼食が終わるとメレル先生が弾く祈りのピアノを聴きながら、心安らかな時間を過ごしました。

軽井沢でのひと夏の出来事

昭和28年、学園小学校の第一回卒業生を送り出し、その夏のキャンプを終えた日、満喜子先生から思わぬお話をいただきました。
「この夏はメレルの秘書として軽井沢へ行きませんか？」。
軽井沢は小説や映画の中だけの、庶民には無関係な場所だと思っていたので、とても嬉しくふたつ返事でお引き受けしました。
軽井沢までの電車の車内で思いもかけない出来事に遭遇しました。
今では電車内は禁煙ですが、当時は車両に灰皿が設置されていました。メレル先生と並んで座っていると、先生が突然、列車の後ろの方につかつか進んでいかれました。そして、後部席で喫煙していた人のタバコを取り上げたのです。突然のことにその人は憤慨して「何をするか」と叫んだのですが、先生はいつもの優しい笑顔で「あなたの健康のためにタバコはいけません」と答えられました。すると不思議なことにその人はおとなしく座り込みました。ヒヤヒヤしながら一部始終を見ていた私はほっとしましたが、普通の人が注意してもこんな風にはならなかったのではないかと思います。メレル先生が本気で相手のためを思っていることが伝わったのだと思います。
同じ禁煙でも現代社会では「周りの迷惑になるのでやめましょう」と言われますが、メレル先生は「あなたの健康のためにやめましょう」と言われました。この違いが受け取る人の心に響くのではないでしょうか？
軽井沢滞在中は先生のお供で色々なところへ行きました。先生には驚かされることも多く、私はたくさんの貴重な体験をさせていただきました。
初めてヨーグルトを口にし、その美味しさに感激しました。
当時の皇太子殿下と美智子さんがテニスを楽しまれる姿を間近で観戦できたのも先生のおかげです。事前に一言も知らせず驚かせるのがメレル先生のお茶目ぐせで、終始ニコニコ顔で興奮する私を見ておられました。
一柳家で一緒に生活していたとはいえ、メレル先生はお忙しく、直接話す機会も限られていた為、この夏の軽井沢行きは、「ひと夏をメレルの傍におき、メレルの人格に触れさせて育てよう」という満喜子先生のご配慮だったと思えます。

ご恩を忘れることなく…

私の結婚式のときにメレル先生より「協」と書かれた書をいただきました。
メレル先生らしく茶目っ気いっぱいに、「協」の文字の右わきの「力」に、それぞれ一番上には「神」、下の左に「SHE」、右に「HE」と鉛筆書きで追記されています。夫婦仲良く、協力するようにと言われたようで、私の大事な宝物になっています。
わずか2年余りの間でしたが、私はお二人を本当の父と母のようにお慕いしております。一緒に過ごした時間は私の人生で大きな財産となりました。