ヴォーリズの語り部

Vol.08 多尾清子さん、ヴォーリズ学園ハイド記念館長 辻友子さん姉妹

ヴォーリズご夫妻が私たちの名付け親です

多尾清子さん(右)

1932(昭和7)年3月23日生、奈良女子大学卒 近江八幡在住

ヴォーリズ学園ハイド記念館長 辻友子さん(左)

1938(昭和13)年8月28日生、同志社女子大学卒 近江八幡在住

ヴォーリズご夫妻のお導きで

辻友子さん(左)、多尾清子さん(右)

私たちの父はヴォーリズ先生に憧れて、近江サナトリアム(現 ヴォーリズ記念病院)に就職したそうです。そこで母と出会い、結婚しました。結婚式は八幡教会で行い、披露宴をヴォーリズ先生のご自宅でさせていただいたんです。そのときに西洋料理を振る舞っていただいたのですが、親族は西洋料理などまったく縁のないものばかりで、でてきたスプーンとフォークの使い方もわからず、「スコップとスキで料理を食べた」なんて言っていたそうです。

結婚後もとてもよくしていただいて、ご夫妻に紹介してもらった家、しかもその家は、まぎれもなくヴォーリズ建築事務所の所員、豊田清次氏の設計で、韓国からヴォーリズ先生に建築を学びに来られていた姜沇氏一家が住んでおられた家そのもので、私たちは育ちました。そして、今現在もその家に友子は居住しています。

ヴォーリズご夫妻のことを私たちは「おじちゃん、おばちゃん」と呼んでまるで私たちのおじいちゃん、おばあちゃんのように慕っていましたね。ヴォーリズ先生のお住まいも私たちの家のすぐご近所でしたので、父はヴォーリズ先生のステッキボーイとして、いつもご自宅まで迎えに行き、一緒に腕を組んで出勤していました。その頃のエピソードとして、ふたりの歩調が合わなくなったとき、ヴォーリズ先生が立ち止まり「英次郎さん!会社も同じですね。みんなの歩調が合わなくなるとスムーズに前に進まなくなりますね」とおっしゃった話をよく聞かされていました。

ヴォーリズ学園の前進となる「清友園幼稚園」から名前をいただきました

私たちの名前は、満喜子先生が始めたプレイ・グラウンド「清友園」から一字ずつとって、「清子」と「友子」と名付けていただきました。

プレイ・グラウンドは子どもたちの託児所のような場所で、その後、「清友園幼稚園」となり、現在の「ヴォーリズ学園」へと発展します。

私(友子)が今、館長をさせていただいているハイド記念館が当時「清友園幼稚園」として使われていた建物ですので、とても深い縁を感じます。ハイド記念館には、まだ当時の面影が残っている場所もあるんですよ。

(清友園幼稚園 第16回卒業式)

(1942年 教室でのお絵描き風景)

対照的だったお二人の眼差し

「清友園幼稚園」での満喜子先生は、幼心にもとても緊張する存在でした。「次に使う人のことを考えて後始末をしなさい」と、生活指導については厳しく指導されましたね。きっちりとした性格でもあったので、晩年になっても台所やトイレがいつもピカピカに磨かれていたのを覚えています。

逆に、ヴォーリズ先生はお仕事も忙しく、それほど出会う機会は多くありませんでしたが、いつもニコニコと優しかった印象です。対象的なお二人だったと思います。

生きる道を示してもらって

姉(清子)も私(友子)も大学進学後は近江八幡を離れ、ヴォーリズ先生や満喜子先生とも疎遠となっておりましたが、私は、結婚、離婚を経て実家へと戻り、1967年から近江兄弟社学園の教師となりました。その年の夏に落雷で学園の校舎が燃えてしまって、ショックを受けておられる満喜子先生をお手伝いしたことがきっかけなのですが、もともと私は周囲から教師を薦められ、それに反発するように違う職につき、結婚をしたのです。それが、また教師という道に戻った。これは、建築家を目指すも断念し、また、建築の道に戻ったヴォーリズ先生と似てる気がして。イエス様に生きる道を示してもらっているのだと思い、そこからは教師を天職とし、定年までヴォーリズ学園の教師を務めあげました。定年後も形を変えながらずっと学園には関わり続けています。

ヴォーリズ先生ご自身も八幡商業学校の先生でしたから、教え子や地元の人からも親しまれておられました。

母は体があまり丈夫ではなかったので、教会の礼拝式などにも休みがちになり、少し悩んだりしていると、ヴォーリズ先生ご自身が母に寄り添い、「久子さん、大丈夫ですよ!神様はよくご存じですから、あなたの出来ることを、出来る方法で、まさにクリスチャンホームここにあり!誰もが集まりやすい家に開放したらいかがでしょう!」という慰めとアドバイスを信じて、そのお言葉に従い、よく家に人を呼んでそのことを実践していました。そのお陰で、今なお二代目の私(友子)も教え子や地元の人たちとの交流を大切に引き継いで豊かな交わりのある生活をさせて頂き感謝しております。   感謝!

取材日:2024年9月30日


ページトップへ