ヴォーリズの語り部

Vol.05 株式会社近江兄弟社OB 林 一

送迎中はメレル先生が気楽にお話してくださるので、私も気安く冗談を言ったりしていました

1925(大正14)年7月22日生

日本キリスト教団近江八幡教会所属

近江八幡市在住

運転手としてお供した日々

林 一

店仕舞いも終わって


林 一

メレル先生と

私がメレル先生と共に過ごさせていただいたのは、
主に移動の車中でした。
私が昭和30年頃から近江兄弟社の社用車の専属運転手を始めたから
です。メレル先生が倒れられるまでの数年間のことでしたが、先生との
楽しい思い出はたくさんあります。
当時は戦後の物のない時代、まだ車は高価で珍しいものでした。
そんな時代に会社に、いち早く車が用意されました。
メレル先生の専用車と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
車はあくまで社用車でした。先生が独占されることはありません。
先生が使う際も、先約がないかチェックされてから使われていました。

「小さい会社なのだから大きい会社の真似をするのはよくありません」とおっしゃって、車を社員に平等に使わせておられました。
みんな車への憧れから運転したがるのですが、ガソリンは入れない、
整備はしない…そんな状況を見かねて私が専属で運転手をしますと
志願した次第です。
社員が急病で倒れたときや、病院の仕事で使うこともよくありました。それを見越して、車はセダン型でなく、荷物や病人も運べる
ステーションワゴン型でした。
送迎中はメレル先生が気楽にお話してくださるので、
私も気安く冗談を言ったりしていました。
道中、歩いている人を見かけると、途中まで乗せてあげることも
しょっちゅうでした。
尼さんを野洲から近江八幡まで乗せてあげたことがありました。
降りるときにメレル先生に気づいた尼さんが、手を合わせ
「ありがたいことです」と先生を拝まれていたことを覚えています。

誰でも分け隔てなく接されるメレル先生のお人柄ゆえでしょう。
質素倹約を貫いておられたので外に出かけても豪華な外食はされませんでした。
お弁当にサンドイッチを持ってこられるか、親子丼など手軽に食べられるもので軽くすまされることが
多かったです。
ただウナギは大好物でした。
友人のバルカム氏(※)が来日されお迎えに行ったときのことです。
バルカム氏にメレル先生がウナギの蒲焼を勧めました。
元来アメリカ人は細長い食べ物が苦手です。
気持ち悪がるバルカム氏に「こんな美味しいものを知らないのは不幸です」と大袈裟なことを言いながら
強く勧め、恐る恐る食べたバルカム氏が「デリシャス!グッド!」と叫ぶ顔を見て、みんなで大笑いしたこともありました。
メレル先生は東海道の景色が好きでした。
車で景色を眺めながらゆっくりと東海道を走ってみたいとおっしゃるので
「三日間休みがとれたらいきましょう」と話していたのですが、晩年まで忙しくされていたメレル先生が
三日間休めることはありませんでした。

※バルカム氏
バルカム氏は、ヴォーリズが大学生時代の教会学校の生徒であった。
後にはご自分の家を本社所在地にして「米国財団法人米国近江兄弟社」を設立登記して近江兄弟社の活動を
支援した人物。




初志貫徹

林 一

見知らぬ近江八幡の土地にやって来て、最初の志を一生貫かれたことはとてもすごいことだと思います。
メレル先生はいつもイエス様の教えを私たちに優しく伝え続けて
くださいました。
とても立派な方なのに、親しみやすく飾らない仕草や言葉で、
私たちに接してくださいました。
そんなメレル先生と過ごせた時間は私の人生の大切な1ページと
なりました。

取材日:2013年10月9日


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