ヴォーリズの語り部

Vol.07 滋賀YMCA理事 堀江 宏さん

私欲のために使わず、社会へ還元することを、身をもって実践しておられました。

11929(昭和4)年7月19日生

医療法人社団堀江医院理事特別養護老人ホーム水茎の里嘱託医

近江八幡市在住

メレルさんの来日目的はYMCAの創立でした

全国ハイY大会

全国ハイY大会


アンドリュース記念館前にて

アンドリュース記念館前にて

私は昭和25年に、メレルさんが推進しておられた農村伝道の教会であった仁保教会で洗礼を受けました。その後医師になり、近江八幡市内で開業医として過ごしてきました。
近江兄弟社の社員ではありませんのでしたので、メレルさんと朝の挨拶からといった深い関わりはありませんが、教会やYMCA、ワイズメンズクラブでお話をさせてもらったことはあります。
印象的だったのは、協会青年のぶしつけな質問にも極めつけて否定はされず「フンフン」と聞いていただいた事です。
当時、私の周囲を取り巻く環境に、レイマン運動と教会学校の充実がありました。メレルさんは牧師ではなく、レイマン(平信徒)でしたので、聖書を真正面から解き明かすということはせず、同じレイマンであった近江兄弟社社員と一緒にキリスト教伝道の種まきをされていました。具体的には子どもに神様の話をする日曜学校に力を入れておられました。
建築家や実業家として有名なメレルさんではありますが、来日された真の目的はまさにそこにあったと思います。
「お金は神様からの預かりもの」とおっしゃるメレルさんは、質素倹約を徹底し、事業で収益があがっても私欲のために使わず、社会へ還元することを、身をもって実践しておられました。
ボランティアと言えば無償で働くことを指すように思われますが、メレル先生はお金を差し出して奉仕させていただくのだと教えられていました。
ボランティアは人の為にするのではなく、自分の為にするのだと…。
そこにYMCAの精神があり、メレルさんはYMCAを作り、多くの人にその精神を広めたかったのです。
私はメレルさんの熱い思いを感じながら、昭和40年から50年近く、YMCA、ワイズメンズクラブを中心に働いておりました。



古関裕而さんとメレル先生の思い出

堀江 宏

ハモンドオルガンをメレル先生が日本に持ち込まれたことは語り部の大原さんのお話でご存じだと思いますが、私が知っている思い出を少しお話させていただきます。
作曲家の古関裕而(こせきゆうじ)さんをご存じでしょうか?
阪神タイガースの「六甲おろし」やラジオドラマ「君の名は」の曲を作られた人と言えばおわかりの方も多いでしょう。
この古関さんが近江兄弟社学園で演奏会を開かれたことがありました。「君の名は」の作曲に没頭されていた時代だったと思われますので、多忙を極めていたはずなのに来幡されました。
近江兄弟社が販売していたハモンドオルガンを古関さんが気にいって使われていたご縁があったからだと思います。
古関さんの演奏会ということで、私の大津の友人などは夕食の弁当持ちで汽車でかけつけたほどでした。
演奏会が終わり、古関さんがセンターマイクへ進まれたとき、舞台の左手からメレルさんがにこやかな笑顔で右手を差し伸べ握手をされました。
そのときの古関さんの紅潮し、感激した顔が忘れられません。
古関さんも色々な舞台に立ち、場数を踏んでおられる方だと思いますが、メレルさんにおもわず信愛の情を示された瞬間でありました。
メレルさんの人柄は、人に感動を起こさせる神様の愛が詰まっているということを感じた出来事でありました。



ヴォーリズ精神を知ってほしい

2014年10月4日(土)~11月3日(月・祝)に開催される「ヴォーリズ・メモリアルin近江八幡-W.M.ヴォーリズ没後50年記念企画展-」の実行委員長という大役を任されました。
2009年にヴォーリズ建築をメインにした大きなイベントが開催されましたが、今回のイベントではヴォーリズ精神を皆さんに伝えられたらと思っています。
10月9日(木)に近江八幡教会で開催されるミニ講演会「YMCAとヴォーリズ」は私が担当しました。
メレルさんの来日の目的は何であったのか?神の愛を示す手段としてメレルさんは何を考えておられたのか?といった視点でお話しました。
メレルさんの周りには常にたくさんの人が集まっていました。 イベントにも多くの人が集まり、ヴォーリズ精神やYMCAの活動に興味を持っていただけたら、メレル先生もきっと喜んでくださるのではないでしょうか?

取材日:2014年7月4日


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