8時間睡眠を厳守・日曜日の買い物禁止。真の清教徒(ピューリタン)でした。
母教会(近江野田教会)にて
40代半ばの頃
私がメレル先生に接することができたのは1950(昭和25)年4月から1956年(昭和31)年9月までの5年6ヶ月です。
近江兄弟社学園卒業後、引き続き大学に籍を置きながら学園に勤務した関係上、メレル先生とは限られた時間しかお話することができませんでした。
先生から受けた指導の中で、今でも私の記憶に鮮烈なのは、
(1)「3・8制の生活厳守」
つまり睡眠・労働・教養娯楽の時間を8時間ずつにすること。神からあずかっている身体を何よりも大切にして力いっぱい精進せよ、との教訓です。
他に先生は「禁酒禁煙」のことも強調されました。
(2)「日曜日の買い物禁止」
これは、安息日(日曜日)に買い物をすると、その商店の人が教会の礼拝に出かける妨げになるとの理由です。
メレル先生はこのことを近江でも軽井沢でも叫ばれ続けました。
数百名近い宣教師とその家族がいた避暑時期の軽井沢では、宣教師の協力により日曜日の商店休日が実現していましたが(当時の軽井沢では彼らが日曜日に買い物をしなければ商店をあけておく意味がなかった)、近江の方は範囲が広いので十分には徹底しませんでした。
平和を愛し、賭け事を嫌う人でした。
喫茶室から軽井沢高原を眺める
メレル先生はキリスト者として単に平和を愛するということに留まらず、日本友和会(FOR)や世界連邦建設運動に積極的に関わる人でした。
ノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士などと協同に励まれ、1954(昭和29)年には近江八幡市でFORの大会を開かれ、全国から注目されました。
賭け事に関する行為は人間の平和な生活を破壊するとして、戒められました。
賭け事はもちろんのこと「宝くじ」のことも「国がばくちをやるとはケシカラン!!」と講演中に語り続けられました。
私が救世軍のヴォランティアになった時、先生は喜んで下さりました。
私は1956(昭和31)年10月から卒業まで救世軍自助館でヴォランティアに加わりましたが、それをいちばん喜んで下さったのはメレル先生です。
救世軍は宣教の重要な一項目として「禁酒」を入れているのです。
その上、日本救世軍最初の司令官 山室軍平さんともメレル先生はお仲がよかったのです。
先生は1931(昭和6)年近江兄弟社学園の献堂式の説教者に山室さんを招かれています。
詩人・音楽家としてのメレル先生。
讃美歌236番の作詞・作曲をはじめ、同志社大学のカレッジソングの作詞など、メレル先生には150編以上の信仰詩があります。
また、ピアノやハモンドオルガンの奏者としても先生は名高いのですが、今日のような音響設備もなく、先生の名演奏のレコーディングがなされていないことは残念でなりません。
先生の演奏曲目はロベルト・シューマンやメンデルスゾーンの曲が全部演奏されたり、一部アレンジされたりして弾かれたようです。
信仰詩(約150編)は2度にわたって出版されましたので、現在も鑑賞することが可能です。
その一部は私の著書にも引用しています。聖母文庫No249、No256、No266の3冊をぜひご覧下さい。
この3冊にはメレル先生に関わるエピソードや満喜子夫人、さらに先生の教え子の方々の記事も豊富に入っています。