ヴォーリズの語り部

Vol.04 株式会社近江兄弟社OB 大原 善之

ハモンド・オルガンを日本に広めたのはメレル先生でした

1928(昭和3)年12月25日生

元 財団法人近江兄弟社事務局長

日本キリスト教団近江八幡教会所属

近江八幡市在住

ハモンド・オルガンを日本に広めたのはメレル先生でした

大原 善之
龍田丸でハモンドオルガンを弾くヴォーリズ

龍田丸でハモンドオルガンを弾く
ヴォーリズ

私が近江兄弟社に入社したのは1948(昭和23)年のことです。
父親が近江ミッションにいたことから、メレル先生のことは子どもの頃から存じあげておりましたが、直接お話しする機会はあまりありませんでした。
毎朝の礼拝や、近江兄弟社の独身男性達が集う「地塩会」でピアノを
弾いておられた姿が印象に残っております。
入社した私は業務のひとつとしてハモンド・オルガンの仕事に
携わりました。
ハモンド・オルガンは電気で音を作り出す画期的な楽器で、
1935(昭和10)年にアメリカで発売されました。
パイプオルガンに比べコンパクトで安価であることから人気が
でました。

1936(昭和11)年頃、メレル先生がアメリカ旅行へ出かける際に、
秘書の米山氏が雑誌で紹介されていたハモンド・オルガンを見てきて
ほしいと頼まれました。
そのときのメレル先生は電気的に作られた音なんて…と否定的だった
そうですが、どのような変化があったのか、日本に戻られるときには
ハモンド・オルガンを購入して、日本郵船の龍田丸に積み込み、太平洋を航海中はそのオルガンを弾きながら帰国されました。
近江八幡では米山氏をはじめ皆がびっくりしたそうです。
持ち帰られたオルガンは、学園の教育会館に据え付けられ、
クリスマス礼拝のときにメレル先生が弾いておられました。
私は初めてその音色を聞いたとき、天から音が響いてくるような迫力を感じました。

メレル先生が持ち帰られたハモンド・オルガンを第一号として、戦前には神戸女学院やNHKなどに納入設置されました。戦後になると、近江兄弟社がシカゴ・ハモンド社の総代理店になり、輸入販売・設置・
メンテナンスを一手に引き受け、NHK・民放の各放送局やミッションスクール、教会、劇場、百貨店などに納入し、ハモンド・オルガンを全国各地に広めました。
メレル先生によって初めて日本にハモンド・オルガンが持ち帰られたことは、日本の音楽界に新しい風を
吹き込み、一石を投じた画期的な出来事であったと思います。
メレル先生は、キリスト者として平信徒の伝道者であり、建築家であり、事業家であり、さらに詩人であり、音楽を愛する優れた才能を持った方でした。
あまり知られていない音楽の分野での功績を皆さんにもぜひ知っていてほしいと思います。




今も心に残る教え

大原 善之

メレル先生が地塩会で漢字の「協」という字についてお話されたことがありました。「協」という字は十に力を3つ書き、辞書によると
「合わせる」「やわらぐ」「助ける」などの意味があります。
「十」は十字架を表し、十字架を中心に力を合わせることが大切なのだと教えてくださいました。
日本の漢字とキリストの教えをうまく結び付け、分かりやすく話してくださいましたので、今も私の心に残る教えになっています。

取材日:2013年10月9日


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