ヴォーリズの足跡とその仲間たちが遺した事業

キリスト教伝道とその主義に基づいて様々な分野における活動を行ったヴォーリズ。各分野における事業とその活動を紹介します。











教育活動の展開

近江ミッションの婦人たちの活動は、吉田柳子とヴォーリズの母ジュリア(58歳で《1914年(大正3年)》来日)、ウォーターハウス夫人、ヴォーゲル夫人などを加えて宣教以外に、「料理教室」や「英会話教室」などが活発に行われた。料理、英会話に加えて、ピアノ、手芸、体操、ろうあ教育なども盛んに行われるようになった。

吉田悦蔵は1933年(昭和8年)、「近江兄弟社勤労女学校」を創立させ、1ヶ月遅れでメンソレータム工場の女子従業員のための「向上学園」を設立。「近江勤労女学校」は1935年(昭和10年)「近江女学校」と改めた。これと併行して吉田悦蔵の妻、清野も1933年(昭和8年)、自宅で「近江家政塾」を発足させ、1936年(昭和11年)には自宅の隣に本館(現在は石橋邸)を建てて婦人教育に力を注いだ。この間ヴォーリズもまた八幡英語学校の校長として活躍した。
こうした手作りの教育環境が、今日の近江兄弟社学園の学校教育の基礎になっている。
ここでいち早く本格的な教育活動に乗り出したのが満喜子夫人である。彼女は専門である幼児教育を生かし、1920年(大正9年)池田町の自宅で「プレイグラウンド」と称して子供たちを集め、1922年(大正11年)、池田町5丁目の空き家を購入して「清友園」(現・近江兄弟社学園)として保育を開始。滋賀県から正式に
清友園幼稚園の認可を受けた。




   


「奇跡の人」ヘレン・ケラー女史近江兄弟社訪問
(1937年/昭和12年5月7日)
提供:(学)近江兄弟社学園

 
プレイグラウンド(1920年/大正9年)
提供:(学)近江兄弟社学園
 
   

幼稚園舎
提供:(学)近江兄弟社学園
 
幼稚園舎の中の風景
『ヴォーリズ建築事務所作品集』より
 
     

近江兄弟社学園 教育会館・ハイド記念館
もちろん設計はヴォーリズ
提供:(学)近江兄弟社学園

     
図書館の設立

参考文献・出典

  • 『日本人を越えたニホン人 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ』(編集 株式会社山田プランニング びわ湖放送株式会社)
  • 『W・メレル・ヴォーリズ 近江に「神の国」を』(奥村直彦 日本キリスト教団出版局)
  • 『失敗者の自叙伝』(一柳米来留 湖声社)
  • 『近江の兄弟』(吉田悦蔵 近江兄弟社)
  • 『Vories Academy ウィリアム・メレル・ヴォーリズ』(NPO法人 ヴォーリズ精神継承委員会)


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